2006年6月19日 (月)

老鼠愛大米NO.57

追いかける、追いかける、追いかけて走る…。

 選手たちは選ばれただけあって、どの人も早い。白組は女子二人が走ったところで5組中、第3位につけた。3番目の男子は何とか3位をキープしたものの、2位との差は縮まらず、むしろ4位の緑組に追い上げられそうな勢いだ。ところが4番手に走った高輝ががんばった。

阿蘇の草千里で馬に乗ったときのように、

  「負けるかーっ、負けるかーっ!」

と大声で叫びながら二位に迫る。二位の赤組の選手は高輝の大声に気おされたのか何度も振り返って、しまいには次の選手にバトンを渡すときに落としてしまった。あわてて拾っている間に、高輝が趙にバトンを渡し、赤組を抜き去った。

 趙も早い。またもや「負けるかーっ。」と叫びながら、暴れ馬のような格好で1位の青組みを追いかける。しかし青組の鄭はもっと早い。差が縮まるどころか、ヂリヂリと開いていく。

 鄭が最後のコーナーを回ったとき、それぞれの組のアンカーが一列に並んだ。

 立ち止まって見ていた直美はその姿に息を呑んだ。白組のアンカー

はまるで劉そのものではないか。スラッとした長身の体躯だけではなく、遠くからみると顔まで似ている。

青組のアンカーにバトンが渡ると、数メートル遅れて趙が白組のアンカーにバトンを渡した。アンカーは長い足を更に長く伸ばして、青組を追いかけて走る。

白い鉢巻に「劉」と書いて走る。まるで豹のように、地面を蹴るたびに砂埃を巻き上げながら走る。

「劉!劉!劉!リュウ!!」

いつの間にかどの組も白組のアンカーに声援を送り始めた。

 「リュウ、リュウ、リュウ!」

大合唱は止まらない。直美の前をアンカーが駆け抜けたとき、劉の鼓動が直美の胸に直接伝わってくるように思えた。

 青組のアンカーと白組のアンカーはほとんど同時にテープを切った。白組のみんなは一斉にアンカーのところに集まって、アンカーを胴上げした。2回、3回と劉が空に溶け込んで宙に舞う。

 レースが終わると表彰式が始まった。直美はみんなに気づかれないようにそっと席をたつ。

  「坂本先生、黙って帰るなんてずるいよーぉ…。」

後ろで声がした。王華がテントの脇に立ってこちらを見ていた。

 

クリックにご協力ください!人気ブログランキング

/p>

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月11日 (日)

老鼠愛大米NO.55

病室のドアから色とりどりのコスモスがゆらゆらと顔を出した。

  「先生!今日はげ・ん・き?」

趙がドアの脇に立って、腕一杯のコスモスを抱えている。

  …「コスモス(秋桜)」やっぱり菊だけど。でもこれならいいわ

ね…。

斉藤主任の誕生日、あの時の騒動を懐かしく思い出しながら、直美は小さく微笑んだ。

 趙は劉の葬式の後も一向に元気にならない直美を気遣って、このところ毎日のように病室を訪れる。もう、劉の話を一切しない。

…したら先生の悲しみを大きくするだけだから…。

両親が劉の遺骨を抱いて学校を訪れたこと。佐伯先生が劉の遺骨ごと母親に抱きついて、斉藤先生が無理やり引き剥がすまで、いつまでも泣きじゃくっていたこと。事務の田隈先生がなぜか「すみません、すみません」と土下座して謝り続けたこと。

  …そんなこと、坂本先生にはもう、どうでもいいことなんだ、劉

がいなくなった今は…。

趙はそう思っている。  

 

 秋の日は落ちるのが早い。趙はしばらく直美のベッドの脇に座って、学校の教室で起こったおかしな話などあまり上手にならない日本語で、

とつとつと話してから、立ち上がった。

  「先生、僕そろそろかえります。」

直美が布団からちょっと手を出して、趙にさよならとでも言うように手を振った。趙はその手を捕まえて、

  「先生、これ先生にあげます。」

いきなりポケットから土鈴を取り出して、直美の手の平にのせた。

  「この土鈴。劉のなんです。劉が事故にあったとき、この鈴を両

手で包んで胸のところで抱いていました。先生、この鈴ね、振

ると坂本先生の声がするんだ。きっとこの声といっしょに、天

に上って行ったんだですね、あいつ。」

 …だから、先生の声がでなくなったんだろうか…。

趙はまじめに心配している。

「でも、大丈夫。僕が先生の声を取り返してきたから…。」

 趙はちょっとおどけた声でそういうと、後ろ向きに歩きながら病室を出て行った。

   「先生、早くよくなって。もうすぐ学校のスポーツ大会だよ。

みんなで待ってますからーぁ。」

ドアを閉めてからも、趙の声が聞こえる。

 直美は土鈴を手のひらにのせたままじっとベッドに座ったままだった。土鈴をそっと振ってみる。

  「カラン、コロン…」

  …劉君…。

直美は声をあげて泣いた。劉が死んで初めてのことだった。

 

クリックにご協力ください!人気ブログランキング

| | コメント (0) | トラックバック (0)

老鼠愛大米NO.54

      

「先生!」

劉の手が直美を引っ張る。直美はしっかりと劉の手をつかんでいる。

阿蘇の河口付近、下は深い谷だ。

  「先生。俺…。」

その時、麗麗の歌う声が聞こえてきた。麗麗は劉の後方、阿蘇の火口に向かって立っている。

  我爱你想着你、就想老鼠爱大米……

麗麗が歌う。劉はその声に引きつけられるように後ろを振り向いた。

  「あっ。」

劉が直美の手を離した。

直美が落ちていく。深い暗い谷。

  「劉君!あなたに言うことがあるのよーっ。」

声を張り上げて叫ぼうとするが、なぜか声にならない。

吸い込まれるように落ちていく。深い谷。いやそこは劉の黒い瞳の中の底知れね淵のようでもあった。

 ハッと目が覚めた。

背中にべっとりと汗をかいていた。まだ劉に握られた手の感触がそのままに残っていると言うのに…。

…ここは? ああ、病院か…。

 あれから、何度も同じ夢を見る。劉に手を引かれ、麗麗の歌声が聞こえ、同じように暗い淵に落ちていく。そして、目が覚める。

  …ここは? ああ、病院か…。

 

 趙が劉の知らせを持って職員室に来た日。直美は趙の腕の中で気を失った。そのまま病院に運ばれた。息ができないような苦しさに見舞われて、集中治療室に運ばれた。「無呼吸症候群」、ストレスが原因だった。

しばらくして症状が治まり、一般病棟に移されたが、直美のストレスが和らいだわけではなかった。あまりのショックからか、声を出すことができなくなったのだ。

 今日で4週間目。同じ夢を見てびっしょり汗をかき、目が覚める。

だれが来ても、だれが話しかけても、どうしても声がでない。

 直美が入院している間に、劉の葬式が執り行われた。劉の両親が中国から駆けつけるまでまる1週間かかった。何かあったからといってすぐにビザが出る国ではない。劉の日本での保証人が、あちこち奔走してやっとのことで両親を日本へ呼ぶことができた。

 その間、劉の遺体は葬儀屋の特別の計らいで、葬儀会場の冷蔵庫の中に安置された。

 葬式は日本語学校、劉の友だちや保証人、みんなの協力で行われた。

直美はその経過を一部始終知っていた。趙が病院に来てはその事を、報告して帰るからだった。

直美は趙が来ても、目を開けなかった。死んだように無表情で、じっとベッドに体を横たえたまま身動き一つしなかった。ただ趙には直美が起きていること、趙の話を聞いていることがよくわかっていた。趙が劉の話をする度に、直美の目の端にうっすらと涙がにじんだ。

クリックにご協力ください!人気ブログランキング

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月13日 (土)

老鼠愛大米 NO.41

 「直美さん、お昼のことだけど。」

男の話が一段落すると、斉藤は直美の方に向き直って話を切り出した。

  「ええ…。」

直美は斉藤が何を言うのかもう分かっている。斉藤が言うことはいつも間違いない。間違いないからおもしろくない。

…特に今日は…。

  「あれは、まずかったわね。校長宛に手紙を出したの。」

  「そうですか。」

  「そうよ。校長は非常勤なんだから、たとえ読んだとしても自分

じゃなんにもしないのよ。全部八田さんにまかせるに決まって

るじゃないの。」

  「そうなんですか。そんなことまではわかりませんし…。」

  「それに、あなた学生と付き合ってるわけ?」

  「いえ、付き合うところまでは行ってません。」

  「それってどういう意味?」

  「だから、お互いに冗談ぽく、『好きです』みたいなことを告白しただけです。」

  「それだって、まずいんじゃないの?『学生と教師』、前から話してるわよねぇ。」

  「ええ。でも人間の感情ってそんなに理屈でばかり考えられないと思うけど…。」

  

…若いのよ、あなたは。

斉藤はいらだってきた。

…なんでこんな小娘みたいな考え方しかできないんだろう。直美

はもうそういう年齢じゃないだろうに…。

  

「主任は国際結婚についてどう思いますか?」

直美がふいに質問してきた。

  「どう思うって?賛成か反対かってこと。」

  「いえ、どんなトラブルがあると思います?」

「そりゃぁ、子どもができたときが一番問題になるでしょう

ねぇ。」

  

…子どもか…。わたしと劉が結婚して子どもが生まれたとしたら、

その子はどちらの国の子どもとなるのだろうか。

直美は劉の言葉を思い出していた。

  「僕の日本の恋人は、僕といっしょに中国へ来てくれるでしょう

か。」

  …「日本の恋人」、わたしのことか?

  

  「まぁ、どちらにしても、今はまずいわね。その学生はまだ学校

に在籍してるわけでしょう?」

  「はい。」

  「それじゃぁ、やっぱり他の学生の手前もあることだし、しばら

くあなたの中の恋愛感情を抑えておくしかないってことよ。授

業がうまくいかなくなるから。」

  「ええ。」

直美はぼんやりと壁に貼ってある少女の写真をみつめる。

  …あなたももう大きくなったでしょうね。恋してる?今でもそん

なに澄んだ眼で愛する人を見つめてるといいけど。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月11日 (木)

老鼠愛大米 NO.40

      福助

 斉藤と直美は居酒屋「よらんね」のカウンターに座った。奥から2番目の席だ。いつも予約席だった一番奥のカウンターには博多人形の「福助」が置いてあり、「いらっしゃいませ」の格好でお辞儀をしている。

  「あんたたち、なんであそこに福ちゃんが置いちゃーかしっとう

ね。知ってますか?

また、例の常連客が話しかけてくる。今日は一人。話し相手がほしいらしい。

  「あの福田さんくさ、本当は写真家じゃなかったらしいったい。

   御供所町のところに聖福寺ていう寺があろうが、あそこの前に

   印刷屋さんがあったったい。今はもうつぶれてからないっちゃ

けど。そこの社員やったらしいちゃんね。で、たまたまそこで

写真集ば印刷したときにもらった写真をここの大将にやったげ

な。それがあの写真たい。」

男は壁に貼ってある、兵士と子どもの写真を指差しながら続ける。

  「そんときに、大将がえらい喜んで、なんば勘違いしたかしらん

ばってん、『福田さんはすごい写真ばとらっしゃーとですねぇ』

って言うたもんやけん、福田さんもちょっとは酔-っとったせ

いもあってくさ、『うん、ときどきはラオスやらカンボジアにい

くとよ』て言うてしもうたってことらしい。」

  「で、本当にラオスに行かれたわけですかぁ?」

斉藤が目をまるくして聞き返す。

  「いや、そうじゃなかと。3年前印刷会社がつぶれたけん、福田

さん久留米の方で再就職しとんしゃったんやけど、最近たまた

ま福岡に用事できたとき、懐かしくなって『よらんね』に来ん

しゃったげな。」

  「ひゃーっ。大変なことになりましたねぇ。おやじさん、どうだ

ったんですか?」

  「どうもこうもなか!うれしくて、うれしくて、『福ちゃん、よう帰って来た』って男泣きに泣きんしゃったと。」

おやじさんはそれから、「福ちゃんがラオスから帰ってくるまで」と3年間予約にしていた席に福田を案内した。福田は事の次第を聞いて仰天した。今更「私は写真家ではありません」と言えるわけがない。その場をどうにか繕って帰ったという話だった。1ヶ月ほどして、居酒屋「よらんね」に一つの荷物が届いた。中に一通の手紙と博多人形の「福助」が入っていた。男は手酌で杯に酒を注ぎながら続ける。

「手紙には『おやじさん、僕を待ってくれてありがとう。でも僕

は写真家なんかじゃありません。ほんとうにごめんなさい』

って書いちゃったげな。」

  「それで、おやじさんわかったんですか、福田さんの正体?」

  「そりゃ、その手紙だけじゃわからんやろう。でもおやじさんは

あのカウンターに「福助」を飾ったと。」

「あのー、福田さんは『福助』と『福田』をかけたつもりで

しょうか。」

「そげんやろうね。おやじさんもそれはわかったっちゃないかいな。わかったんではなかろうか)。お客さんが『あの席あいてますかぁ』て訊いたら、前といっちょんぜんぜん変わらんごというとよ。『ああ、すんまっしぇんねぇすみませんねぇ、そこは予約席やもんやけん』って。あんまりそれが続いて、ややこしくなったっちゃないかいな。あそこに『福助』ば飾って永久予約席にしてしもうたとよ。おかしかろうが…。」

男はそういいながら、ちっともおかしくなさそうに、

「博多の女(ひと)ばもう一杯!お湯割にして。」

焼酎を注文した。今日はカウンターにおやじさんの姿がない。代わりに若い男が威勢良く「へいっ!」と返事した。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月10日 (水)

老鼠愛大米 NO.39

…何が「旅の恥」だ。麗麗は「旅」をしに日本に来たんじゃない。

田隈のどこが可愛そうなのだ!

 直美はこの部屋を飛び出したい衝動に駆られた。

…このまま走って帰りたい!

その時八田が大きな声を更に大きくして付け加えた。

「坂本先生、人の悪口をいうより、自分の行動を慎みなさいよ。」

  「えっ!どういう意味ですか。」

  「李さんのこと話してくれた学生、あんたの恋人ですかぁ?舞鶴

公園なんかを学生と肩を組んで歩いたら、人の噂に上りますか

らねぇ。それじゃ!」

 八田は直美が出した報告書を「ビリッ」と二つに破くと、鬼の首で

もとったように誇らしげに、校長室を出て行った。

直美は立ち上がれずにいた。

…私は八田が言うようなやましい事をしたのだろうか。田隈と比

べられるような悪い事をしたのだろうか。

悔しさが更につのった。

 「坂本さん、今晩飲みましょうか。7時に例の店で待ってるから。」

 斉藤が直美の肩にそっと手を置いて言った。

…そんな気分になれない。このまま一人で帰りたい。

しかし、直美はコクッとうなずいた。

「じゃ、後でね。」

 斉藤は大きくため息をつくと八田の後を追った。

…またきっとこの事で何週間もネチネチ、ネチネチ、嫌味を言わ

れ続けることだろう。

「何事も常識の範囲内!っていつも若いもんには言っているん

ですがねぇ。この常識ってのがわからん奴が最近多すぎます

なぁ!校長先生!」

 職員室で、たった今授業から帰ってきた田中校長を捕まえて八田ガ

ラスが「アホー、アホー」と口をパクパクさせている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月 8日 (月)

老鼠愛大米 NO.38

八田は誰を見ても「あいつはアホーだ」を連発する。誰かの形容をするときは必ず「アホの○○」から始まり、何かの話の締めくくりはほとんど「あいつはアホだ、こいつはアホーだ」で終わる。自分以外の人間は、全てバカだと信じているのだ。

…そう言えば八田はカラスに似ている。

ある時斉藤は気がついた。黒くとがった顔、陰気な目、黙っていても

「アホー、アホー」とつぶやいているようなとがった口。カラスを飼

うと面白い習性に気がつくそうだ。ご主人が外出すると必ず主人がい

つも座っている席に代わって自分が、座っているそうだ。八田は田中

校長がいないとき、いつもこの校長室を自分のもののように使用し、校長の席に座っている。

…やっぱり、カラス。

今も田中校長の席に座って書類に目を通している八田を見ながら思う。

斉藤は小さいころカラスに襲われたことがある。電信柱の上で「アホ、アホ、アホー」と気持ちよく鳴いているカラスをからかってみた

くなった。斉藤はカラスに向かって叫ぶ。

「何がアホーだよーっ。おまえがアホーだよ。アホー、アホー。」

斉藤は満足だった。子ども心に思う。

…このアホーって響き、結構うまいじゃん…

そのときだった、なんとカラスが斉藤を見下ろした。首を少し傾け、ピョンと飛んだかと思うと、斉藤めがけてそのまま急降下してきた。「あっ!」斉藤は逃げようとした時、目の前の石につまずいて転んだ。「うわっ!」思いっきりひざを打った。カラスは斉藤の頭上すれすれを飛んで行った。斉藤はもうカラスのことなど忘れている。打ったひざが割れるように痛かったのだ。「わーん、わーーーん」斉藤は近所のおばさんが驚いて飛んで来るほど大声で泣いた。

あの時のカラスの顔が、今の八田の顔にダブル。

…カラスそっくり。

 その時、坂本が校長室に入ってきた。八田は読んでいた書類を脇において、もったいぶって言う。

 「あぁ、坂本先生、そこに座ってください。」

 

 直美は校長の机の前に据えられた席にすわった。正面の校長席に八田、右側に斉藤が何かノートを開いて座っている。

  …まるで、裁判を受けているみたい。

 「坂本先生、あなたなぜここに呼ばれたかわかってますか?」

 「いえ。」

 「そうですか。この手紙のことだけど。」

八田が右手においた封書を指差す。

 「あぁ、それならわかります。」

 「あのねぇ、あなたこんなことしてもらっちゃ、困るんですよぉ。

ここにある李麗麗さんのことね。田隈がどうのこうのしたってこ

と?これ、何か証拠でもあるんですか。」

「いえ。でも学生から聞きました。」

「で、その学生ってのは?」

 「そこまでは…。」

  …何の話だろうか?

斉藤は不安な気持ちになる。

  …いったい何のこと?

八田からは何も聞かされていなかった。

 「そう…。でも一方的な報告じゃねぇ。信憑性に乏しいでしょう。」

 「ですから、調べてください、とお願いしているんです。李さんの

勉強態度にもかかわることですから。八田先生、李さんのこと田

隈さんに聞いていただいたんですか。」

 「もちろん、聞きましたよ。本人は全く身に覚えがないと言っとる

んだから。」

 「じゃ、李さんはどうですか。」

  直美はだんだん苛立ってきた。これじゃぁ、あの事件を報告した

直美の方が悪いような言われ方だ。

 「あのね、あんたアホっ…と言ったら失礼だが、少し大人気ないん

じゃないのかなぁ。田隈と体の関係があるんですか?って李さん

に聞け、と言うんですか。もし万が一そうであっても、李さんが

『はい、そうです』と言いますか。いや、もし『はい、私は田隈

さんと体の関係があります。そして暴力も受けています』と言わ

れた方がもっと大変だ。下手に藪をつついたばかりに蛇を出すこ

とになりますよ。あいつらは『訴えてやる』、とか『金を出せ』と

か平気でいいますからねぇ。それこそ国際問題ですよ。」

  

直美はもう、完全に後悔していた。これはもともと、学校宛に出し

た手紙だ。宛名は「田中校長」にしていた。

  …それがなぜ八田に?

 八田の説教がまだ続く。

  「あのね、例えあなたの言うとおりだとしますよね。それでもこ

んな報告を学校側にしたら、田隈君が傷つくでしょう。李さん

は傷物になってもですよ、いずれ中国に帰ればそれで済むこと

でしょう。『旅の恥は掻き捨て』ってことですよ。田隈君は日本

人だ。どこへも帰るところはないんですよ。可愛そうだと思わ

んですか。」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月 7日 (日)

老鼠愛大米 NO.37

      カラス

 月曜日の職員会議の後、斉藤は校長室に呼ばれた。斉藤が校長室へ入っていくと、正面の広い机に八田がどかっと腰を下ろしていた。

 九州日語学院の校長の田中は非常勤だ。校長といっても名ばかりで以前は高校の国語教師をしていたそうだ。

「私は国語の教師でしたから、当然日本語が教えられますよ。」

と言っているが、

…昔とった杵柄で役に立つのは「餅つき」だけ…。

いくら国語の先生とは言え、それは無理があるというものだ。

日本語学校は各国の学生が同じクラスで勉強している。だから教授法は英語、中国語などの媒介言語を使わず教える直接法をとっている。日本人は英語を日本語で教えたり学んだりした経験はあるが、日本語を日本語で教えた経験がない。そのため、事務長の八田のように例え英語の教師の免許を持っていても、日本語教師養成講座などで日本語教育を学ぶ必要がある。つまり田中校長や八田には日本語を教える資格があるわけではない。

それでも彼らは1週間に12度、代講の時、臨時に、など時々授業を受け持つ。残念ながら、その評判はすこぶる悪く、授業中に居眠りをしている学生も多いと聞く。当然といえば当然だ。

日本語教育を学んだことがない人が外国人に教えると、日本人に教える英語教育や国語教育と同じやり方になる。日本語がわからない学生が国語を理解できるわけがない。

田中校長は1週間に12度しか学校に来ない。だから実際にこの

学校を取り仕切っているのは事務長の八田だ。事務長といっても、実

は事務的な仕事が苦手で、どちらかというと口八丁の営業肌なため、

学生の募集を一手に引き受け、年に何度か韓国、中国に学生募集に出

かける。

「わしはほら、英語ができるでしょう。それでね、ずいぶん助か

っているんだよ。」

と自慢げに鼻を膨らませる。

…実際、中国や韓国でどのくらい英語力を活用しているのだろう

か…。

まわりの皆が疑っている。中国では日本語のうまい通訳を連れて歩い

ているし、韓国では学生を紹介してくれる仲介業者の韓国人がほとん

どみんな日本語を流暢に話すとなれば、英語力を駆使して活躍してい

る八田を想像するほうがむずかしい。

学生募集で海外に出張しないときはたいてい、事務室で暇つぶしに職員を相手におしゃべりをしたり、冗談をいったり、からかったりし

て遊んでいる。そんなときの話題は常に自分の自慢話が中心だ。

  「わしは大阪一の経済大学を卒業した。」(どこ?)

  「うちの猫はペルシャだから、人間よりえさ代がかかる。」

(いくら?)

  「うちの娘は宝塚に合格したが行かなかった。」(なぜ?)

八田は斉藤が嫌いだ。斉藤はどんな時でも、八田の自慢話に耳を貸さないからだ。斉藤も八田が嫌いだ。斉藤は実力以外の何者も信じないタイプだ。

…男は実力で勝負して来い!ってね。

   …斉藤はいつもわしを見透かしたような目でみやがる。これだ

から博多の女は好かん(嫌いだ)!

   …「好かん」でけっこう!あんたに好かれる必要なし!

 

  「うちの息子は本当にわがままだからいかんよ。ぺエペエの癖に

高い車を買おうとするもんだから、金が足りなくなって親父の

わしに金貸せっていう。」

  「へぇ、八田先生の息子さんならもう、40くらいになられるん

じゃないですかぁ。」

さっきも八田は佐伯相手に自慢話の最中だった。佐伯は八田にとって

は孫ぐらいの年齢だから、八田自身、結構佐伯を可愛がっているよう

だ。ただ佐伯の方はいつも陰では

「あのじいさん、いい加減くたばればいいのに!」

なんてひどいことを言っている。

  「いや、いやうちの息子はまだ39だよ。」

39歳は、つまりもうほぼ40歳ってことでしょうが!

斉藤は心の中でつぶやく。

「で、高級車ってなんですか。」

BMWでね。小さいころから何でもいいものばかり見せてきた

もんだから、趣味が高い、高い。今ごろ嘆いてもしかたないけ

どね。親ばかかね。ほっほっほっ…」

 八田はそこらじゅうにつばを飛ばしながら何がおかしいのかうれしそうに笑う。

「そりぁ、八田先生の趣味がいいから~っ。子は親の背中を見て

育つっていうじゃないですか。先生の今日の雨傘、バーバリで

しょう。わたしなんか300円傘ですよ。先生はこだわりがあり

すぎっ!」

佐伯がおべんちゃらを言う。八田は「うっふぉっふぉ」とまたうれし

そうに笑う。

…「子は親の背中を見て育つ」ってあなた、そんな時には使わん

でしょう!

斉藤が佐伯をにらむ。それにしても、人から何か褒められたら、(むろ

100%お世辞なのだが)、八田はもう、有頂天になる。

…豚もおだてりゃ木に登る。

斉藤は八田の方を見ずに、だまって机の上のメモ帳に八田豚が木に登

っていく姿をスケッチした。日本語の先生は常日頃から、学生にわかりやすく説明するために、言葉の意味を即座に図示する訓練をしている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月 6日 (土)

老鼠愛大米 NO.36

● プレゼント

 昼休み、直美が今日の試験の採点をしていると、大きな紙袋を抱えて、佐伯が職員室に入ってきた。そしてまっすぐ直美の横の席につくと、その紙袋を机の下に押し込むように入れる。

 「何?」

 「これ、見てください。」

佐伯が紙袋の中身を指差した。紙袋には白い菊の花が、4050本ほど束にして差し込んである。

 「斉藤主任をお気に入りの韓さんから、『今日は斉藤先生の誕生日だから、先生に渡してください』ってこれ預かったんです。」

 「はぁ???だって、それ菊じゃないの。しかも白ばかり。葬式みたーい。」

 「でしょう?私もどうしようかと思って、とりあえずこの紙袋の中に隠したんです。」

直美はチラッと斉藤の方を見た。

 「ちょっと、まずいっすよね。」

佐伯は本の陰に隠れるようにして、斉藤をちらちら見ながら困り果て

ている。

 学生たちは日本に来るときに、親から預かったさまざまなお土産を

気に入った、あるいは自分の事を気に入って欲しいと願う人に贈る。

直美の引き出しの中はそういった学生からの贈り物であふれている。

凝ったすかし模様が入った扇子、保証書付きの朝鮮人参。変わったと

ころでは鹿の角を薄く輪切りにして、魚の鱗のように並べたものだ。

何に使うか訊いてみると、大抵の学生は「知りません。使ったことが

ありません」と応える。

 …知らないものをなぜ贈る!

しかし高価なものではあるようだ。但し書きを翻訳してもらうとどう

やら強壮剤にも使うらしい。

 …今んところ、用なし!

そんな具合で、これらの贈答品は陽の目をみることなく、直美の引き

出しにお蔵入りしている。他の先生の机の引き出しもおそらくは似た

りよったりにちがいない。

 学生の先生への貢物の習慣は日本で暮らすようになってからも止ま

らない。家を借りるときに保証人になってもらう。入管へのビザ更新

の時に出席率をなんとかごまかしてよくしてもらいたい。進学のとき

の推薦状に「日本語能力」は「上」と書いてもらいたい。様々な思い

がその貢物にこめられている。今日の韓さんのプレゼントもやはりそ

れに類する物だろうが、

   …それが白い菊じゃーねぇ。

直美はため息をつきながら更に花束の脇に添えられた、ご祝儀袋に目を留めた。

 「待ってよ。これはまずいでしょう!」

 「えっ?何ですか。」

直美は袋の中から、結婚式のときに使うご祝儀袋をつまみ出した。袋は金銀の縁取りが施され、鶴と亀の絵が描かれている。

 「いくら何でも、先生にお金ってのはまずいんじゃないの。」

直美は斉藤の方を見ながら、小声で言う。

 「ああ、これですか。バカでしょう?こんなものに入れるなんて。」

佐伯が口元を押さえて「くっ、くっ」と笑う。

 「これ、お金が入ってるわけじゃないんですよ。わたしも韓さんに

  これ何?って訊いたんです。そしたら、『文房具屋に行ったら、きれいな封筒があったので、これに手紙を入れました』って。もう、ほんとに何をするか。『ご霊前』の袋じゃないだけましかと思って、このまま預かって来ました。」

 …白い菊の花束に『ご霊前』の袋だったら、喜ばせるどころか、韓さん、斉藤先生に一生恨まれるかも…。

直美は財布から5000円札を1枚抜き取って、佐伯に渡した。

 「これで、何か他の花に代えて来てよ。菊じゃないのに。おつり、ちゃんと持ってきてよ。」

 「でも、この菊どうします?」

 「それは、花屋に引き取ってもらうか、だめだったら後で私が持って帰るわ。」

佐伯は「はい、了解しました!」と小さく敬礼して、出て行った。し

ばらくするとまた大きな包みを後ろ手に隠しながらもどってきた。

 「先輩、これどうですか。」

見ると、カサブランカが袋の中からぱっくりと口を開けてこちらをみ

ている。何本もあるので、まるで鷲の雛が親鳥から餌をもらおうと、

一斉に口を開けて鳴きだしたみたいに見える。

 「あなた、何もこんな派手派手しいのに代えてこなくても…。」

 「だって、やっぱり白の方がいいでしょう。後で斉藤主任が韓さんにお礼を言うときのことを考えたら…。」

…そうだ。主任はきっと、「韓さん、白い花をありがとうね。」っ

て言うだろうな。

直美はカサブランカの花束に、結婚式用のご祝儀袋を添えた。違和感

があるにはあるが、なぜか妙にマッチしているのが面白かった。

 「斉藤主任、誕生日おめでとうございます。これ韓さんが。」

佐伯が斉藤に花束を渡すと、斉藤はにわかに明るい表情になって、

 「あら、あら。年をとるのはうれしくないけど、こんなプレゼントをもらうなんて!こっちの方は毎日でもうれしいわねぇ。」

ちょっとおどけて花束を抱え、カサブランカの花の香りをかいだ。

 …もう、いくつになったのだろうか。

斉藤はいつ見ても年を感じさせず、若々しい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月 5日 (金)

老鼠愛大米 NO.35

 二人は店を出て西へ歩く。さっきまで薄暗い喫茶店の中で話してい

たせいか、外へ出ると陽の光がやけにまぶしい。大通りを左に折れる

と、福岡高等裁判所の脇を通って、福岡城址のお壕端に出る。

お壕には蓮がその大きな葉を水一面に広げて、薄いピンクや黄色の蓮

の花が葉の隙間から、水面を滑るように可憐に咲いている。

 二人は並んで鴻矑館の跡地になっている高台へと歩いていった。こ

こは以前平和台野球場があったところで、西鉄ライオンズの黄金時代、

博多っ子の心を虜にしたところだ。今は鴻矑館後に記念館が建てられ、

毎年4月には桜の名所として大いににぎわう。

 二人は、そこから家並みが見えるところまで登ってきた。

「劉君、あそこに座ろうか。」

「はい。」

劉は、またもとの寡黙な劉に戻っていた。二人は木の下のベンチに

腰をかけた。生ぬるい6月の風が木々の葉の息吹を運んでは過ぎて

いく。

「先生。僕、李麗麗に聞いて見ます。先生はこれ以上僕たちのこ

 とにかかわらなくていいです。

  「劉君。この前、入管の人が来た後も同じ事を言ったよね。それ

ってこの前話した中国人とか日本人とかに関係あるの。」

   「関係ないです。僕は先生が僕たちのことでつらい思いをしたり、悲しい事件に巻き込まれたりするのがいやなんだ。」 

  「そう。」

  …今、劉は私を教師として見て話しているのか。それとも告白なのだろうか。劉は私が好きだと言っているのだろうか。

  …先生に『好きだ』と言いたい。でも言った後に先生が俺を拒絶したらどうなる?俺は先生とこんな風に話すことさえできなく

なる。

  「先生、好きな人がいますか?」

劉が話題を少しずらしてきた。直美はほっとしながらその話題に乗る。

  「そうね。昔いたのよ。その人となら結婚してもいい、と思える人が。大学の時代にね。」

  「どうして結婚しなかったんですか。」

  「振られたの。卒業する時に。もっと勉強したいから、もっと自分を育てたいから、って言われた。結婚して束縛されたくないって。」

  「僕は結婚したからって束縛されるとは思わないけど。」

  「そうね。わたしもそう思う。人を愛するときに、自分の大切にしているものを犠牲にしなくちゃならないような愛なら、それは本当の愛じゃない。わたしも彼にそう言ったのよ。」

  「そしたら?」

劉は直美をじっと見た。思いの他近くに劉の顔があった。長いまつげ

の奥の瞳に直美が映っているように見えた。

  「君は女だからっそう思うんだよ、って言われた。」

  「どういう意味ですか?」

  「女は結婚して、家庭に入り、子どもを生んで育てる。そのことだけでも喜びを感じることができるけれど、男はそうはいかない、って言ったの。」

直美はそういいながら町並みの向こうに見える海を見つめた。劉も直美と並んで海を見る。

「先生、それは男とか女とかに関係ないと思います。人は愛す

 るために生きているんだと僕は思う。人は人を愛しているか

ら、学び、励み、また愛し合うんだ。」

  「劉君は優しいのね。」

直美はくすっと笑った。

  「何でですか。」

  「だって、失恋したわたしを一生懸命かばってくれるから。」

劉もまた笑う。

  「そうじゃないけど。でも、僕が先生に愛してるって言われたら

   今すぐにでも結婚するかもしれません。」

  「えっ!ほんと?」

  「ほんとです。僕、もうこれ以上成長するものがないから…。」

直美は劉にさらっと愛を告白されて、目をパチパチさせてしまった。

  「バカね。劉君は若いんだから、まだいっぱい成長するものが

   あるのよ。でも劉君が成長するまで待ってたら、わたしはおば

あさんになってるかもしれないわね。うーん、困ったなぁ。」

あわててそういいながら、くしゃみをした。

  「寒いですか。」

  「ちょっとね。今日はもう帰ろうか。」

 劉は立ち上がると、ジャケットを脱いで直美の肩にかけた。

それからそっと後ろから肩に手をまわして、直美を自分の体で包み込

むようにして歩いた。

…男の人にこんなに暖かく抱かれたのは何年ぶりかなぁ。今どうしているだろう…。

久しぶりに大学時代の彼を思った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

その他のカテゴリー

小説