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2006年6月10日 (土)

老鼠愛大米NO.53

いつの間にか職員室がざわついてきた。職員が次々と出勤してきたのだ。「もう、その話はまた後で」と斉藤は佐伯を席の方へ促した。

その時だった。ドアのところに趙が現れた。

  「先生、交通事故です。」

趙がなぜかいつもに増してモタモタと話す。佐伯が先ほどのことをひきずっているのか、イライラした声で叫ぶ。

  「またですかぁ。もう、学期が始まったらとたんに、こうなんだ

から。いい加減にしてほしいわよ。今度はだれ!」

バーン!と机をたたいて立ち上がった。

  「2組の劉です。」

  「えっ!劉君。劉翔さんが事故にあったんですか?」

日本語学校では「学生が交通事故にあった」というニュースが少なくとも1ヶ月に1回か2回入ってくる。信号を確認しないせいか、あるいは信号を無視しても大丈夫、相手が止まってくれるから…、という根拠のない思い込みを捨てきれないのか、学生たちはいとも簡単に事故にあう。

 ただ、「劉翔」とは意外だ。あの学生がそんな無茶な横断をしたりしないはずだ、と誰もが思う。

  「で、劉さんは今どうなっているんですか?」

佐伯はさっきとはうって変わった調子で聞き返した。

  「今、病院です。病院で…。」

  「どこの病院?!」

後ろで直美の声がした。

  「趙さん、劉さんはどこにいるんですか。」

趙が振り返ると、直美が透けるような青白い顔になって尋ねた。

  「先生、病院にいます。」

  「だから、病院ってどこなんですかぁ!」

佐伯が前より大きな声を出す。趙は焦点の定まらない目で

  「あの、あのわかりません。名前、わかりません。」

  「趙さん、で、劉さん、どんな様子?」

斉藤がいつもよりもっと落ち着いた声で、趙の肩に手をかけて訊く。

  「先生、もうだめです。」

  「うん?、もうだめって?」

  「何?趙さん、だめって何が?」

直美はゆっくりと、趙に近づいた。

  「だめって何が?まだ間に合うの?間に合うならわたし、劉君に

   言いたいことがあるのよ。」

消え入るような声で直美が言う。

趙は直美の腕をつかんだ。そうでもしないと直美は今にも倒れそうだった。

  「先生、もう間に合いません。 劉翔、死了。(死にました)。」

眼の前が真っ暗になる。劉の手を思った。細く長い手、力強く直美を引く手。そしてその時、劉が直美の手をパッと離した。

  …劉君…。直美は落ちていく。暗い、暗い闇の中に。まだ言うことがあったのに、「あなたが好きだ」って、言わなくっちゃならないのに。声が出ない。深い暗い闇の中に直美は音もなく吸い込まれていった。  

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コメント

劉さんには幸せになってほしかったのに。。。残念です

投稿: モニカ | 2006年6月10日 (土) 19時00分

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