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2006年3月25日 (土)

老鼠愛大米

● 春節

2月3日午前8時、劉はまだ万年床の中だ。今年の冬は例年になく寒い。火の気のない部屋は寒いだけでなく、なんとも湿った空気と同室の鄭が昨夜作った中華料理の油でねっとりと重い。起き上がらず、寝たまま枕もとのタバコに火をつけた。煙を思いっきり深く吸い込んでゆっくりと吐く。煙は劉の口元から天井へ向ってまるで狼煙((のろし)のようにスルスルと登っていった。

 今日は元旦だ。去年の春節は中国にいた。高校時代の友人と、みんなで爆竹を鳴らした。“劉、おまえ、羨ましいなぁ。俺も日本へ行けたらなぁ。”そういいながら、友達が俺の肩を叩いたっけ。親友だった田猛は、よっぽど悔しかったんだろう。冗談にしてはあの後ひどく肩が痛かった。劉はもう一度タバコを口に含んでゆっくりと吐いた。あの時は俺も鼻高々で

…そうさ、俺は運をつかんだんだ。この中で運をつかんだのは俺一人だ。そう思っていたようなぁ。憧れのニッポン・・・、あ・こ・が・れ・の・・・

劉は吸いかけのタバコを灰皿に投げ込んで、ガバッと跳ね起きた。頬に冷たいものが流れる。あぁ、俺、泣いていたんだ。その時、ドンドンドン、誰かがドアを叩く。

…チェッ、鄭の奴、またかぎを忘れていったんだな。

鄭のアルバイトは仕出し弁当屋だ。そこで9時ごろから、朝の3時ごろまで弁当を詰める手伝いをする。それが終わると新聞配達の朝刊を配りそれから、うちへ帰って寝る。午後からは日本語学校へ日本語を勉強しに行く。毎日そうして、金をためる。就学生のアルバイトは14時間と決められている。しかしそんなものを守っていたら、日本では暮らしていけないし、卒業後大学へ進学するときの入学金と学費がない。見つかるのを覚悟でみんな一日に8時間も10時間も仕事をしている。

鄭と初めてあったのは、学校の寮だった。劉は日本に来るとすぐ学校が用意した寮に入った。学校の寮は縦長い部屋に二段ベッドが置いてある。部屋の広さは、4畳半程度だ。奥に窓が一つあり、その窓の下に、スチール製の小さな勉強机が二つ並んでいた。その両側にはこれもスチール製の洋服ダンスが、向かい合わせに置いてあった。

「監獄か?」

劉は最初にその部屋に入ったとき、思わずつぶやいた。案内してきた事務の田隈は少し中国語が分かる。めがねの奥からジロッと劉を見て、

「イヤだったら、いつでも出ていいんですよ。だけど日本で部屋を借りるのは大変ですよ。保証人が必要だし、金もかかります。学校はそのためにこうやって君たちのために部屋を用意してあげてるんですからね。ありがたいと思わなくっちゃねぇ。」 と、ヘラヘラ笑った。

…気味が悪いおっさんだぜ。何で笑ってるんだ?

 その時はそう思ったが、その後何度も“ヘラヘラおっさん”“ヘラヘラおばさん”を見かけた。日本語学校の先生もよくヘラヘラする。説明に詰まったとき、なんと言っていいか分からないとき、怒っているとき、悲しいとき、恥ずかしいとき。日本人は自分の感情をはっきりと言葉で表現できないときに、全てこの“ヘラヘラ”でごまかすのだ。と劉は後になって思った。

 ヘラヘラする田隈に言われてすぐにでもあの蛸部屋のような寮を出たかった。しかし、田隈の言うように、日本で保証人を見つけるのはそう簡単ではない。しかも部屋を借りる時の敷金や礼金など劉たち就学生がすぐに払える額ではなかった。

 同部屋の鄭は黙々と働いた。日本に来て3ヶ月はアルバイトをしてはいけない、という学校の規則があった。日本語でコミュニケーションがとれなければ、アルバイト先でトラブルが発生する確率が高いからだ。それに入管法で「就学生は14時間、1週間20時間以上働いてはいけない」と決められている。鄭は日本に来て、わずか3週間、どこからか仕事を見つけてきた。噂によると、紹介料をとってアルバイトを紹介する中国人の組織があるらしい。こういう組織からアルバイトを紹介してもらうと、月々の給料も20%ピンはねされると聞く。学校の寮の門限は10時だ。10時になると全ての門が閉まり、寮長が寝泊りする部屋の前のドアからしか、学校に入れなくなる。

 劉は夜中の1時ごろ帰宅する鄭のために、毎晩トイレに行く振りをして、トイレの窓の鍵を開けておいた。鄭はそこから泥棒のように入ってきた。

 半年後、鄭と劉は二人でいっしょに学校の寮を出てアパートを借りた。鄭がアパートの敷金を出し、劉は家賃の半分を出すことになった。保証人は鄭の担任の先生がなってくれた。 

 「ドン、ドン、ドン」ドアをたたく音がする。

…うるさいなぁ、また鄭が鍵を忘れたのかぁ…。

 劉はパンツ一枚で鍵を開け、ドアを思い切り開いた。

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コメント

いよいよ始まりましたね。
こんなに早く読めることになるなんて・・感動です。
わたしにはヘラヘラ男、ちょっと生々しすぎるけど、
これからの展開を楽しみにしてま~す。
(モニカ=詩人でございます^^)

投稿: モニカ | 2006年3月25日 (土) 16時12分

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